2021.03.21 Sunday
関連の取り組み・ハンセン病学習会
第18回釜ヶ崎講座学習会
ハンセン病問題から何を学ぶか 第2弾! 「家族訴訟」ハンセン病家族訴訟は終わっていない! 1907年、ハンセン病患者への国の隔離政策が始まりました。 1931年、強制収容・終生絶対隔離の方針のもとに「癩予防法」が制定され、市民もこぞって保健所や警察へ通報し収容所送りに加担しました。人権尊重を謳った現行憲法制定後もこの状況は変わらず、1996年「らい予防法」が廃止されるまで続きました。 この間、多数の患者が収容所に送られました。完全防護の白衣を着た職員がやってきて住んでいた家は真っ白になるまでボトボトに消毒され、歩いた道までも消毒されました。消毒の異臭がただよい、もう住むことはできません。それを見た近隣の人たちは恐怖したことでしょう。こうして国の誤った政策によって家族への差別偏見が作出され、家族は一家離散を余儀なくさせられました。 ハンセン病患者への国の責任は裁判などで明らかにされてきました。しかし、残された家族が受けた被害は認められないままでした。2016年、第1陣59人、第2陣509人の人たちが差別被害を訴え「ハンセン病家族訴訟」を熊本地方裁判所に提訴しました。しかしその多くは今なお残る差別を恐れ匿名原告でした。この原告団の副団長として裁判を牽引されたのが、黄光男さんです。 公判では毎回3〜4人の方が自らの差別被害を証言されました。なかでも学校現場での差別、児童生徒からの差別が教師の言動に起因するものと多くの方が証言され、唖然とさせられました。 2019年6月28日の地裁判決では、人生被害を与えたとして、国・厚生労働省・法務省・文部科学省の責任が厳しく断罪されました。政府はこの判決を受け入れ、安倍総理は声明の中で「偏見差別の根絶へ政府一丸となって全力を尽くすことをお約束する」と述べ原告に謝罪されました。安倍総理の評価はともかく、いやしくも一国の総理の発言は実現されねばなりません。 判決では、私たち市民一人ひとりの責任も問われました。私たちに何ができるか、何をしなければならないか。 差別解消こそが真の解決と提起されたこの裁判、その意味でも差別が解消されない限りハンセン病家族訴訟はまだ終っていません。 ◎話題提供者 黄 光男(ハンセン病家族訴訟原告団副団長) プロフィール (ファングァンナム) 1955年大阪府吹田市で在日朝鮮人二世として生まれる。1歳の時に母親と姉がハンセン病を発病、岡山の療養所に隔離され、本人は岡山市内の福祉施設で育つ。1964年家族5人が社会復帰し、尼崎で暮らす。尼崎工業高校卒業後、尼崎市職員に採用。ハンセン病の親のことを長らく語らなかった。2016年2月、「ハンセン病家族訴訟原告団」の副団長となる。尼崎市在住 ◎DVD上映 「邑久光明園」(30分) 「国立療養所邑久光明園」の様子を収めたビデオ。 毎年行われている看護学生や高校生を対象とした療養所入居者とのふれあい体験交流会での園訪問が、今年はコロナで実施されなかったため、その代わりとして邑久光明園社会交流会館の太田由加利学芸員が園内を撮影したもの。 ハンセン病療養所とはどのようなところかをご覧ください ◎開催日時 2021年4月17日(土) PM6:30開演 ◎会場 太子福祉館 大阪市西成区太子1−4−3太子中央ビル3階 ◎定員先着45名(申し込み不要) ◎資料代500円 ◎当日YouTube配信予定 配信希望者は講座メールに希望を前日までに送ってください 主催:釜ヶ崎講座 大阪市港郵便局私書箱40号 大阪市西成区萩之茶屋1-9-7釜ヶ崎日雇労働組合気付け Mail: kamakouza@cwo2.bai.ne.jp HP: http://cwoweb2.bai.ne.jp./kamakouza 090−2063−7704(事務局) |